Jul 31, 2013

Name of Store (Snapshot #43)

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at Kanekiya.

日本で古くから使われてる屋号は商標も兼ねているものが多い。
屋号を一文字(一マス)で表すデザインは今見てもハイセンスだ。
漢字、片仮名、平仮名、符号記号を上手く使い分け、組み合わせる日本語の表現範囲の広さはもっと誇ってよいものだと思う。

ところでこのかねき屋、尾山神社のすぐ目の前にあるので度々店前を通るのだが実は一度も入ったことがない。
夜中にうろつく用事のない場所なので結果的にそうなってしまったのだが、是非この土地の栄枯盛衰の歴史を踏まえて訪れてみたい店である。

Jul 30, 2013

Summer postman (Snapshot #42)

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スキャン時のヒストグラム補正でなかなか思うようにいかないな、と思いつつダラダラとそのままスキャンしてきたのだが、先日スキャン補正後に更に付属のPhotoshop ElementsでRGBとコントラストを調整したらかなりイメージに近い絵になった。

とはいえ、あまりガッツリと補正してしまうとフィルム本来の味やレンズの癖も無視したデジタル画像になってしまう気もする。
適度な補正とはどの程度までなのか、これを探るのもまた難儀しそうである。

Jul 29, 2013

Lotus pond

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生まれ育った町には蓮池が多かった。

幼い頃、蓮の茎の中身がどうしてか急に見たくなって辺に生えてる太めの茎を一本折った。
茎の表面は小さな突起でぶつぶつとしていて、折り曲げられた繊維からは白く濁ったどろりとした液体がゆっくりと時間をかけて溢れ出て、俺の小さな親指に垂れた。

それ以来、蓮というものは何だか気持ち悪くて得体の知れないものだというイメージがつきまとい、毎日見るそれを俺は半ば黙殺しながら過ごしていたのだった。

故郷を離れて十数年。
久しぶりに見た蓮池は風雨に晒され続けたせいか、ある種の憂いを帯びていて、老人がこぞって背中を丸めてひっそりと息をしているような、それは言い様のない侘しさを感じた。

Jul 28, 2013

All Around The World (Snapshot #41)

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とある朝のひとコマ。

今年の春過ぎあたりからここに毎朝少年が地べたに座っていた。
何度か後から来た友人と合流している光景も目にしたことがある。
どうやら友人達と待ち合わせをする為に、少年はいつも一番乗りで来ているようだった。

七月に入り、少年は座って待つのを止め、寝転んで待つようになった。
そういえばそれの一、二週間ほど前ぐらいから友人達の姿は見なくなっていた。


上の写真の日を境に少年はここには来なくなった。
彼に何があったのか、俺には知る由もない。

夏は微かなざわつきを容易く飲み込んで、日に日にその盛りを増してゆく。
毎日は何事もなかったように過ぎてゆき、世界は回り続ける。
少年がここに来なくても、俺がここに居なくても、当たり前の二十四時間を刻んで回り続ける。

Jul 27, 2013

Store going out of business (Snapshot #40)

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旅行でしか見れない(撮れない)写真というのも勿論素晴らしいのだが、普段から撮ってるような何気ない寂れた街並みや建物を見ると旅先でもつい条件反射で撮ってしまう。
もはや習性となっている部分が大きい。

誰にも語られることなく潰えていく、それぞれの名もなき物語の断片を垣間見る事が出来るようになったのは写真を撮り始めてからの事である。

Jul 26, 2013

Grand staircase of the station (Snapshot #39)

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嫁と定食屋さんで晩御飯を頂いてる最中に愛機ペンタックスLXでシャッターを切ったら、そのままミラーが戻らなくなるという現象が起きた。

その後に運ばれてきた折角の食事の味も記憶にないぐらい焦っていたのだが、帰宅してシャッタースピードダイヤルを回してみたらいつもの「カシャンッ」が鳴ってあっさり元に戻った。

単なる操作ミスなのかミラーの動作不良なのか、ど素人の俺には判別がつかない。
暫く使ってみて再び同じような症状が出るのであれば点検修理に出そうかと思う。

今やLXがないと写真を撮る気力すら失せる自分がいる事に気付いた。

Jul 25, 2013

F2 (My Wife #7)

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少なくとも自分にはF2以上の明るさを活かした写真って撮ること殆どないな、とふと思う。
せいぜい室内撮りの時ぐらいではなかろうか。

無理に大口径を選んでも持ち腐れになりそうで手が出せないでいる。
薄いピントやボケ味の大きさは今のところそんなに必要がないのだが、視力が悪い俺にはファインダーが明るくなるという事が一番のメリットになりそうな気もする。

Jul 24, 2013

Antique market

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京都への小旅行中に立ち寄った東寺の境内にて、骨董市が催されていた。

一口に骨董と言っても様々なジャンルの古物があるものだと感心しつつ、物珍しさでシャッターを切っていたらこの店に出くわした。

裸体のバービー人形?がフラフープ状態で店先にいる。
客寄せなのか店主の趣味の陵辱なのか。
そのセンスについて是非とも伺いたかったが、通話中のようなのでやめた。
やめといて良かったとも思う。

Jul 23, 2013

Steel tower and Cables

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少し前まで、フィルムを始めようと思うまでは常にポケットに入れておくカメラとしてGRDか新型GRを検討していた。
その流れでフィルムを常用としたい今はGR1vだ、と思って購入に踏み切ったのだが、実は思いの外フィルムを消費していない。

通勤時の光景というのはどうも目が慣れてしまっているせいか、撮りたいという欲求に駆られる瞬間が少ないのだ。
それでも撮れる人は撮れるのだろうが、俺の場合どうも意識を変えるのが難しい。
気分を一新させる為にGR1vにはモノクロフィルムを入れておいた方が良いような気がする。

モノクロで夏空の青さを表現出来たら気持ち良さそうだ。

"トラックバック企画「ブルー」に参加"

Jul 22, 2013

Along the railroad tracks (Snapshot #38)

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スキャン時のヒストグラム調整がどうもうまくいかない。
プリントでかなりコントラスト高めに補正されていて雑草のディティールが潰れていたので、なるべくディティールを残す方向で弄っていたつもりなのだが、出来上がってみたらかなり眠たい絵になっていた。

加えてPCの調子も悪くスペック的に、というか容量とか作業領域?などに余裕がないようでFlickrにアップロードするだけでモタモタなのである。
五、六年前の普及スペックのノートなのでいい加減に買い替え時期なのだが、なかなか踏み切れないでいる。

十万円近くするレンズはポンと買うくせに、そこそこのPCを買うのに二年も悩んでいるなんてこの趣味に理解のない人には分からない感覚であろう。

Jul 21, 2013

Visit my old hometown (My Wife #6)

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式には間に合わなかったが、叔父に手を合わせるためと十年以上行ってない墓参りをするために山口へ帰った。

故郷の駅舎は相変わらずの佇まいで幼い頃の記憶が俄かに蘇る。
岩国へ出かけるときなどはよく祖母に連れられてここから電車に乗ったのだ。
祖母も亡くなった今となってはその記憶も俺一人の断片的なものになっていて、これからまた年を重ねる毎に欠片は一つまた一つと知らぬうちに失くなっていくのだろう。

空白の時間が長すぎたのかもしれない。

ファインダーの中に嫁を捉えた瞬間、過去と今が少しだけ繋がった気がした。

Jul 15, 2013

Kyoto Cityscape

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先日フィルムスキャナーを導入して初めてスキャンしてみたのだが、まずは試しにとホームモードで24bit、300dpiでやってみた。
前記事と本記事、そしてこれから先の数件の記事に載せる写真についても全て同じ設定でスキャンしたものである。

もう少し精細なスキャンをしてみたいと、フィルムスキャンについて書かれたサイトやブログを読んでいたのだがデジカメでうんざりしたRAW現像に近い手間を掛けて階調を確保しつつ補正を行う方法が紹介されていた。

PCも低スペックで現状でかなり重たいのでなるべくならお手軽な方法でやりたいところだが、やはりこだわりだすとそれなりの知識と設備環境と時間が必要になるようだ。

この粗い画像もこれはこれで雰囲気が出てるから取り敢えずしばらくはこのままで良いんじゃないか、と自分を騙してブログを書いている導入二日目。

Jul 14, 2013

World Heritage Toji

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フィルムで写真が撮りたくてペンタックスLXを買った。
コダックのポートラの色が好きでこのフィルムを使いたくてフィルムに興味を持ったようなものである。

撮り始めに京都へ一日だけのプチ旅行へ行った。
写真はファーストショットの真言宗総本山、東寺の慶賀門

スキャン画像でさえも「ああ、フィルムの絵だな」と思って何故かホッとする。

Conversation piece (Scanded Image #1)

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先日叔父が亡くなった。
その数年前には祖母が亡くなった。
父親と父方の親族を知らない幼い頃の俺にとって、母方の親族は親戚ではなく家族だった。


我が家には諸事情によって古い写真は数枚しか残っていないが、これはその中の一枚である。

33年前の母に抱えられる俺とその家族。
いつでも会えるはずの家族ともう十数年会っていないという事実と、いつかはその家族も居なくなってしまうという現実。

何でもない日常が今しかない一瞬なのだ。

写真を撮り、プリントとして残す事の意味を考えさせられた。